師走

師走
十二月に入り、至る所で年の瀬を感ずるようになってきた。駅前では郵便局員が出店を出して年賀はがきを売っている。一人でも多くの人に振り向いてもらおうと、彼らの呼びかける声が、この時期に及んで一層大きくなっている。民営化前までは、こんな姿を見かけた事はなかった。商店街では、クリスマスツリーやら、それに合わせたイルミネーションやらが飾られている。煌びやかである。活気付いてみえる康泰導遊


十二月のことを師走(しはす)と言う。旧暦の師走にはまだ早いが、師走という。何故に師走というのか。その語源として有力なのが、平安時代の僧侶達の忙しく走り回る様に由来するという説である。しかし妙である。夏も冬も檀家の数は、そんなには変わらない筈である。何故、年の瀬に限って僧侶が忙しく走り回らなければならないのか、それについては、あまり語られていない。ところが、夕暮れ時の駅前やら商店街やらを眺めている間に、ふと思った。冬は日が短いから忙しいのではなかろうか。

「すさまじきもの、冬の夕暮れ、俄かに暗くなりてわろし集運淘寶

まだ午後5時前の駅前は闇夜が迫り来ていた。激変する冬の夕暮れは冷酷である。つい今しがたまでは、空は明るかった。しかし駅前の商店街を眺めている数分の間に、俄かに太陽は急降下、空は暗転、星空に変わった。清少納言ちゃんも愛した秋の夕暮れ時はこんな筈ではなかった。ゆっくりと日が傾き、西の空が赤く染まりはじめ、その後じわりと陽が沈み、沈んだ後も直ぐには暗くならずに夕焼けを楽しむゆとりがあった。ところが、冷酷な冬の夕暮れは、夕焼け空を楽しむ暇を与えない。

古代の昔に電気はない。街灯もなければ、イルミネーションもない。24時間スーパーもなければ、行き交う車のヘッドライトもない。日が暮れれば、漆黒の闇である。冬になれば、それが猛スピードでやって来るのであるから堪ったものではない。僧侶でなくとも、俄然慌しくなる。一日の仕事を明るいうちに終えねば成らぬのであるから、それは忙しいに決まっている。電気灯の明かりが途切れることを知らない現代人には、到底気付かない苦労かもしれない blackberry手機殼




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