財政難じゃな

財政難じゃな
雪の多い地方の方にはちょっと想像しづらいかも知れませんが、関東の冬というのは信じられないほど乾燥します今年は数日に一度雨が降ってくれているのでまだマシなのですが、肌はカサカサを通り越してガッサガサになりますし、髪の毛も乾燥ダメージをかなり受けます。そして色んなモノがよく燃える!ちょっとした火の不始末が大きな火事に・・・なんてこともザラにあります。
現代でもこれですから、紙と木で出来ていると紹介された江戸の街ならなおさらでしょう。実際かなりの数の大火が起こっており、多くの被害者が出ております。

そんな厄介な火事を消そうと組織されたのが『火消』です。大まかに分けて3つの組織がありまして、一番メジャーなのが町人によって組織される町火消、次が旗本によって組織される定火消、そして自衛の消火にだけ努めればOKの大名火消に分けられます。
組織だけでも3系統、それぞれに特徴があるので数度に分けての紹介になりますが、今回は彼らの火消しファッション、すなわち『火事装束』について取り上げます

まず町火消の盛装ですけど、印半天、腹掛、股引という錦絵や時代劇でよく出てくるスタイルです。更に火事場へ出動するときは刺子頭巾(猫頭巾とも。目の部分だけが開いている)、膝下まである刺子長半天などを身につけ、火の粉に備えたみたいです。
半天の背中には組の紋が、えりには組名が染めつけられていて、刺子長半天には裏地に錦絵風の模様をつけた豪華なものもあったとか・・・天保の改革で規制されたみたいですけどでも裏地を派手にするのはやはり江戸好み、表に見える部分はスッキリが基本です

そして定火消。彼らの資料がなかなか見つからなかったのですが、想像すると赤穂浪士のスタイルが多分定火消のものではなかったんじゃないかと・・・何せ旗本、幕府の規制も厳しいでしょうし、江戸っ子の地味好みを考えるとモノトーンでスタイリッシュに決めた火事装束だったのでは?と思われます。
実際火事装束の画像検索を見てみますと、あの黒地に白のダンダラ、ずば抜けて格好いいんですよ江戸育ちの旗本ならば、江戸好みも熟知しているでしょうし、このスタイルだった可能性が高かったんじゃないかと思われます。

最後に大名火消の装束ですが・・・おい、財政難じゃなかったのか?と思われるくらい派手なものですそれだけではなく装束のお色直しまでした大名までいたとか・・・
松浦静山が『甲子夜話』で紹介している話なのですが、寛永寺で火事が発生した時、秋田藩主・久保田侯が3度もお色直しをしたんだそうです。
寛永寺内に自らの御坊があった為に出動した久保田侯ですが、まだ前髪立ちの少年だったので振り袖の火事装束でやってきて(袖に火が付きそう消火にあたっている間に装束を3度も着替え(つまり合計4着の火事装束、ってことか?)、馬廻りの者達も二度着替えたんだとか・・・ちなみに人々は火事ではなく久保田侯の火事装束ファッションショーを見るために集まったと『甲子夜話』には書かれていますwww
なお松浦静山は『火事装束を着替えるのは消火活動で破損した場合であって、見物人を集めるために着替えるというのは聞いたことがない』と嘆いていますが

確かに滅多に町人の前に出ることがない大名ですので、ここぞという見せ場の時に華やかな衣装を身にまといたいというのも解らないではないのですが・・・やり過ぎ感が否めない。
なお、大名屋敷が焼け出された時には大名の奥方も火事装束を身につけ避難したそうです。
(ただ、これが出来たのは武家の娘としてきちんと乗馬の教育を受けた奥方や姫君に限られると思いますが・・・将軍家から大名家へ嫁いだ姫君が火事装束を身につけ、颯爽と避難する姿は格好良かったみたいです)


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